弌矢コード

挿絵に負けたくないです。

雪の太陽に、LADYDAYと

 うららかな午後に私はいる。膝掛けを乗せて月を待ち望む私の女王様は、横浜に生まれ落ちた男による千葉への誹りを受けている。千葉だっていい。耐えかねている女王様はそう言おうとしてやめた。
 真夏の陽の射し広がる北海、スヘフェニンゲンのビーチにふたりはいる。オランダといえば天を降らす王国と聴く。それを男はよくよく知っていた。だが女王様はドラッグを好んでいない。ブロンズの仏像が近くで鈍く輝いている。
 女王様は思った。巨大な瞳のこの男は古い俳優みたいな様だと。肘、膝まで伸びる青と白のストライプの水着だった。女王様のフレンチネイルに合わせたらしいのだが。
 灼熱のビーチは真っ白だった。
 淡い嫉妬を込めて何度も繰り返すが、女王様の色彩はペドフィルにしてバイセクシュアルである。そして女王様はご自身の住む横浜と、私の千葉を愛している。
──浜はいい。夜霧に汽笛鳴る異国とつながってるからな。
──ヌーディストビーチがよかった。
──あそこは汚いんだよ、色んな合成樹脂が流氷みたいにたくさん浮いているしな。
──ふたつのことを愛せないの? 色彩豊かな方がいいわ。 
──おまえのことか? 男は女の色を一色に染め崩してなんぼなんだよ。
──貴方にも分からない色彩。
──その割には分かり合っているじゃないか。
──分からない。
──その割には分かり合っているじゃないか。
──何をむきになっているのかしら、子供ね、赤ちゃんならよかった。
 不意に、男が女王様のそれを壊しにかかった、女王様の色彩を。女王様は抵抗せず受け入れようとしながら廻りを見渡した。白人ばかりだった。皆西を向いて夕日を待っている。真昼なのに。わざわざオランダにまできてなぜ太陽にこだわるのだろう何処にいても同じなのに。女王様は月の方がお似合いだ。
──違いがあって両方好き。
 女王様の思いの通り、凪いだ。水泡が塊となって沖まで浮き流れていた。まだウィンドサーファーが少ない。指折り数えられるほどだった。手首まで覆う黒く分厚いウェットスーツに白い頭、そんなのばかりだった。ビーチ・クラブは女性ばかりで皆シャーベットをたべていた。男たちのほぼすべては泡立っては砕けて溶ける波打ち際にいる。
 時間をかけて壊れ、とうに気をやって白けている男は、おれもと呟いて海へとぐったり歩いて行く。女王様は引き止めない。男が海に足を浸けたとたん悲鳴をあげた。鏡色に灼けて照り返す砂の上をもどってきてガチガチ震えていた。オランダ屈指のこの海辺はつかると凍る様に冷たい。真夏の陽に灼けた観光客が凍傷になることもある。ビーチ・クラブの寝椅子で女王様が伸ばしている足の先、男は身を震わせて飛び跳ねている。
 昨日の夜はシルバークラブでのバブルパーティに付き合わされた。女王様は乗り気なくそれに応じたが、男は心躍っていた。エレクトロサウンドと酔い痴れ、テーブル状の台の上から汗を降らせる女、男、それを眺め上げながら、女王様はジャズのクイーン、醜聞まみれのレディデイを思っていた。結晶をほどよく溶かして体内に入れるレディデイ。女王様はチルアウトルームで思いついた。帰ったら洗い立てのシーツにフレンチネイルの爪先を巻き込んで、ひとりシラフでしよう、すべての皆と乱交を。
──いいね、女たちが美しいぜ。
 女王様はひとりそうした。
 放心するようにしていま、女王様は真昼のビーチクラブで寝椅子に横たわっている。海に凍え切って戻ってきている男は隣りでまだ身震いして飛び跳ねている。突如、縮こまっていた男が凝固しだした。流木の様に転がった。かと思うと藪から棒に横浜に帰りたいと赤子の様に喚きだした。現オランダ語は勿論、フランドルまで通訳できる男が母親をママと呼んだりおかあさんと叫んだりしている。
 いま私は激しく嫉妬している。
──子離れできてないの、あなたも。
 女王様はみぞおちまで髪を撫で下ろした指で、いい子ね、と男を愛撫した。
 男は透明の結晶の様な曼荼羅を幻視している様だった。それは自転している。
──廻る廻るいつまでも廻っているよ!
──太陽を凝視なさい、いい子だから。
 瞳孔の広がり切った赤子の男を見守りながら、女王様も太陽を直視する。様々なる太陽を見た。欧米の太陽からアフリカ、中東アジアの太陽、いわんや千葉と横浜の太陽をや映画小説絵画の太陽光に包まれた仏の輪より鳥居を抜け道を走り追い越し車線をまたいで曲がると病院の塔、引き返して街灯沿いに進み郊外の真新しいアパルトマンの屋根の角からの太陽、仮設公園よりの太陽、農村の漆喰屋根に半分見いだす太陽、花咲き乱れる草原を越えて下流を渡り湾の彼方の白鯨の背中に映る太陽、太陽で盲目となりぜんぶ真っ白だ。
──見えている。
 普遍たる太陽から音が聴こえてくる。幻聴ではなかった。雹の音だった。白い肌の女たちが姦しく上着を羽織っていく。鳥肌を立てて泣き喚く者もあった。上昇気流が作りだしている冷たい積乱雲はずっと真上にあって動かない。上空三〇〇〇メートルの寒さを思った。地震の様に振動する茜色の空の中に、その予感を探った。上空からいつまでも落ちてこないで巻き上げられてばかりいる水が雹から次へと変化して、ようやくそれが降ってきた。太陽はまだ何処にも沈んでいない。
 起き上がってみると、男は浮かぶような銀色の結晶降りしきる空へと甘エビさながら仰向けに固まって震え続け、積り凍てつきだした砂に徐々にだがくぼみを作リだしている。
──そんなに顔を白くして、寝ているみたい。
 まどろんでいた私はその共鳴に顔面蒼白している。嫉妬し耐えかね、限界が来ている。ひとり凍え切って膝すら動かなくなってしまっていた。千葉の自宅に女王様を呼んだ。
──このまま眠ってしまおうかしら、埋もれ沈んでしまうまで。