弌矢コード

挿絵に負けたくないです。

助走

僕のparkourは発散というより、踏みにじる、と表したほうがよい。traceurの僕は、内包されたものを踏みにじり破壊もしくは破り捨てるのだ。
1990年に小学生の僕は九龍の城壁へ向けて、写真家だった父親と成田を飛んだ。ちょうど十歳だった。
到着早々、父親は挨拶を交わした男に阿片を勧められた。父親はいわばマッシブな男で、腿など僕の胴ほどあったから、そのたぐいには強そうだったが、かなり酔ってしまっていた、幼い僕にでもそれとわかるほどに。あの時の匂いは未だ鼻腔に残っている。
異邦の僕らは城壁人にすぐバレた。
「ニホン」
銃規制が怖かった。銃声がないと何所が危険かわからないし、奴らは静かに殺し、死ぬのだと父親に聴かされていた僕はひどく怯えていた。
けれども城壁都市は賑やかだった。それでも怯えは治まらず、このままでは、父親に連れてこられた意味がなくなってしまう。こわばりながら柔軟体操をしていった。父親がへらへら笑っている。
父親に教わったshoegazerを爆音で聴きながら馴染ませておいたシューズに力を込め、城壁のダクトへ向けて跳ねる。落ちたニット帽を酔い痴れた父親が拾い上げて指先で廻して見せる。 飛び跳ね移る、を、繰り返して昇っていくに連れ、大柄な父親が見る見る縮んでいく。
奈落の父親をシューズで覆い隠して蹴った。グリップは効いている。二回転した。平積みされた古本みたいな壁と壁を飛び移りながら、アイベックス(授業で習った)になれ。父親はもう見えない。それから、阿片に酔い潰れているだろう父親を案じた僕は、全身汗を吹いたアイベックスとなって柔軟に降り立った。父親は路面に貼りついて弛緩していた。人だかりができていた。僕はまた怖気づいた。
「ダイジョヲブ」
その夜、父親に阿片を譲った男に食事を誘われた。
老人と男が狭い部屋に導いた。剥がれた深緑色の壁のなか、かしいだ部屋の円卓を囲うのは九人だった。全員で、十一人。綺麗な女性が五人いた。僕と同い年ほどの男女が二人いて、お互いに戸惑っていたことを覚えている。フラッシュが焚かれた。
塩の吹いた鳥の照り焼きと長細い魚料理、椀に盛り上がった米、魚は蛇を思わせた。高熱を出してえづく父親の分まで僕は黙々とありついた。塩辛さは感じなかった。頼りない父親の通訳で、男の語りによる子供たちの将来の希望を聴いたが記憶にない。僕は体操選手になりたいですという一言以外何も話さず、平らげた。箸が長いというのは本当だった。
女性たちに姦しさはなく、優しく父親を部屋の隅に横たわらせた。僕に何か話しかけてくれていた五人は父親を見てそっと笑みを浮かべ、食卓ごと片付けていった。もう怖くなかった。
がらんどうの部屋になった。テレビもベッドもなく、椅子だけがあった記憶がある。
記憶はそこまでだ。
二年後、政府により九龍城壁都市の住人は退去させられたと聴いた。五輪の体操選手にさせるためのフィールドワークと称して、パパ(実は始めからそう呼んでいた)は、ただ阿片を体験したいがゆえ、友人をつてに九龍まで僕を連れて行ったのだと思われる。
次の二年後にそれは破壊された。
いま、体操選手にはならなかった僕は何処までも平坦な郊外まで、仲良くしている父親に会いに行った。這い昇ると、十二階の窓の外から真っ白のベッドに仰向けになって、未だカメラなんかをいじっている父親が覗けた。気付かれて撮られるまえに、僕は指先で合図してから窓を蹴破る様に踏みしめて去った。
僕は自分の写真が大嫌いだ。
写り込んだ一枚だけが残っている。