弌矢コード

挿絵に負けたくないです。

サヨナラ先生

先生に会ったのは、崖っぷちでだった。
崖っぷちの私に、サヨナラ、と先生が言った。
それが口癖だと知るほどの仲になってから後、先生は理系と訊かされた。
先生は難しいことを口にしない。
サヨナラだけが口癖だ。
待ち合わせの場所での挨拶がサヨナラ。
別れるときも、サヨナラ。
舐めてんのか、このじじい。 

先生は三角関係を好んだ。人妻を掠め取るのが好きだった。
サヨナラはいいものだよ、はじめから誰もいないと同じだからね。
ただの処世術でしょうと私は答えた。
大体、不倫に巻き込まれるのはごめんだ。
そんなわけで、私は先生と距離をとりながら附き合っている。

先生とはサヨナラに始まり、様々な話をして、サヨナラする。
春の話が好きだった。
季節の始まりだからね、それでは、サヨナラ。
きっと21世紀の精神異常者なのだ。

私がこころを病んだ時分、あの崖っぷちからの光景を眺めていた時、
先生は私の背中を押そうとしたと、桃太郎電鉄をふたりでやっていたときに言った。
自然を堪能し、飛び降りるつもりでいたわけではないにもかかわらず、
サヨナラを他人に押し付けるのはよくないんじゃないですか? 
サヨナラ。といって先生がゲームに負けて、ゲームと暮らしが一緒だと、
君は考えている節がある、君はゲーム君だね。
たかがゲームに負けたからといって、手厳しすぎやしないだろうか。 

その実、私は心当たりがあった。
コンクリートで育った私の子供の頃(言い訳だろうか?)の秘密基地、隠れ家、
そのたぐいの思い出のほとんどが、私にはコンピュータゲームのなかにある。
ひょっとして、未来だって。そう考えてしまった。
ふふ、と先生が嘲笑いをした。 

元号が変わるとき、先生は一世一代の行動にでると、私に告白した。
この世とサヨナラするんだ、と。
このとき私は本気ととらなかった。芝居染みていたから。とても。

先生はそうした。
私は道連れにされた。
肺病病みの私の母親の手術の日だった。
お互い、薬品の染みこませてある紙切れを口にした。
そう、そういうわけだ。
先生の家の一階で服用した。

もどれないことを確信して、
様々なる意匠が部屋中を走馬灯、
もどれないことを受け入れて、
極彩色の砂嵐を抱きしめ、
もどれないことを肯定して、完璧に肯定して、
山を下り、私は隠遁者を罵り、
あちこちの村や街の住人を嘲り、
ついには発狂した。
先生はとなりで、泡吹いて天井を刮目している。
元号が変わった。ラジコから音が物に化けてそう伝えた。
しばらくたった。
戻ったここはどこだろう。
どこなんだろう。
家財道具は沈黙している。
先生は勝手にひとり、煎茶を飲んでいる。
先生、
その先は言えるわけねえ。