弌矢コード

挿絵に負けたくないです。

ゆく果てを抱き続けて

 薄ら日照り込む成田空港のサクララウンジ、夏の旅行客たちのざわめきのなか、海のなかが素敵でキラキラと美しい酷く不味そうな魚の群れがフィンに寄ってくるのよ、と初対面の峰子が一辺倒に話し続けている。遠くで旅行客のゆがんだ笑い声がどっと上がった。いつの間にか、ラウンジは満席になっていた。峰子の背後で、積乱雲の浮かぶなかへとジェット機が昇って行く。飲みかけのアイス珈琲を置いたまま空港をでた。そしてふたりは手を繋いで陽炎ゆれる駐車場まで歩いた。
 スズランの香りがゆれた。四0キロほど走らせると空を彩りだした鉛色の雲から、ちらつき光る小雨が裾を広げ始めた。対向車線はダンプカーの渋滞になっていて、ヘッドライトが道の遠くまで数珠繋がりに伸びている。ラジオを点けたが、この辺りはいつもラジオの電波が混線する。窓の外の光景が沈んで行く様だった。湾岸工業ベルト地帯が見えるエリアでワイパーの速度を上げた。もうすぐたどり着く海辺に入り江・アパルトマンはある。
 幕張の湾岸に沿う二〇階建ての入り江・アパルトマンはオリエンタルな作りになっている。最上階の、硬度のある表面がなめされたユーラシアウッドの部屋だが、ぼくは親に断らず勝手に内装を少し変えて、密かな小部屋を取り入れた。
 到着して、峰子を招き入れ、ホームページで購入したプレミアムラム、年代物のロンサカパを酔わない程度にショットへ注ぎ込んでテーブルで峰子と向かい合った。峰子が語りかけてくるので、日本ではマンションと呼ぶねと答えた。峰子は開放的だった。適度に血流を上げてから乾燥サボテンを摂取し、エアコンの温度を強く下げて、部屋の温度が十六度になったあたりで、ベッドにふたりで潜り込んだ。すずらんの香りが充ち過ぎなほど充ち広がった。
 そのうちまどろんでいた様だった。まだ夜明けらしい。もう一度、眠れそうにない。テーブルのボトルがモニタからの灯りをゆらゆら受けて拡散している。テーブルの下へと輪郭のはっきりした峰子の黒い下着が垂れていて、その先でまだ雨の音がしていた。床に降りてベランダの窓を開ると発光する彼女が寝返りを打って、何か呟いた。適当に返しておきながら、端末に向かった。これからのために、東京湾の南にある、すっぽんのスープとフィレ肉のアボカド炒めが売りのレストランに峰子を連れて行くことに決めた。峰子が起き上がった。峰子の下くちびるをめくると、ハート形のタトゥが覗けた。消すことは可能なのかあとで調べてみようか。エスプレッソを飲んでふたりでシャワーを浴びた。
 降り注ぐ雨のせいか、レストランは客が少なかった。窓際から見える、鉛色の海辺を落下する真夏の雨は、次第に量が衰えて行く様ではあったが光景は悪く、対岸はみえなかった。
 プーケット島でのコムローイを断念したと峰子が愚痴をこぼし始めた。あの状況で三箇月もプーケット島にいられるわけがないと発光する画面を見せてきた。ギャルソンが、前菜を運んできたことに気がつきながらぼくは動画を見続けた。真っ白の砂に落ちる人影により、太陽が真上から降っていることが分かる。海岸のふちに咲く深紅の花陰で、水着姿の筋肉質で焼けた婚約者だろう男が、カメラに向かって手を上げ下げしている。何やら酷く酔った様子だった。カメラが右に動いて緑色に溶け合う青色の海が伺えた。
 降り止んでいた。レストランの窓辺からの海は濁りを増して、栄養を含んだ様だった。湾口の水平線手前にある光芒により銀色に揺れているその下を、外国航路の大船がくぐって行く。別れた婚約者を電波で探りながら、フィレ肉のアボカド炒めを口にしている峰子がぼくのすっぽんの食べ方を見つめ、声を立てて笑った。
 峰子は帰り、不機嫌になった。婚約者だった男が横浜から汚らしくこちらに近づいてくるという。ぼくは峰子が横浜に住んでいることを新たに知った。外はもう闇が落ちてきていて湾の対岸に陸影が浮かんでいる。あの光の粒のひとつが私の住処なのよと峰子がいった。あそこから男はどんな顔をしてくるのだろう。
 男はこなかった。明くる日もこなかった。峰子はこのまま幕張の入り江・アパルトマンに泊まり続けたいというので、ぼくは受け入れた。ふたりは何度も眠りに落ちた。
 ふたりを覚醒させたのは峰子の端末が通知を受けたときだった。インターネットのサロンページからだった。峰子がインターネットサロンの自分の履歴を覗くと、そこには婚約者による記があった。
──おまえより年下の女と遊んでいたし寝てもいるのだ。
 ふたりが会ったのも、そのインターネットサロンだった。趣向の合う者同士の音声通話。峰子の居場所はプーケット島だった。即座にノイズの混じる音声で性的関係を結んでから、ふたりは端末を接続したまま眠りに落ちた。
 ふたりは男のことなどお構いなしに入り江・アパルトマンで過ごした。すると金が尽きてくる。そろそろ兼業穀潰しであるぼくに無心を迎える日がきた。生活費を送金されながら乾燥サボテンで小遣いを稼いでいることを打ち明けると、峰子は快く受け入れた。ぼくは三箇月のあいだを使ってプーケット島へ旅行をする提案をして話し合った。
 それから入り江・アパルトマンで乾燥サボテンを食みながらふたりが準備を始め終えたとき、峰子が妊娠の反応を認めた。
 ウェブには三箇月といえばつわりもピークを迎えるとあった。けれども峰子は今後の暮らしの相談ならば旅行先のプーケット島でしたいという。峰子の心身にことがあればいつでも帰ってこられるということで、ふたりは成田空港へ向かった。
 夕暮れに、空港へ走らせているとき、峰子の端末の電波に異変が起こった。男が近くにいる。成田空港らしい。この辺りは電波が障害を受けやすいから、それと関係があるのかも知れないが、どのみち電波の全貌などはどうでもよかった。夕日が東京湾へ沈んで行くとともにに対岸の横浜が光りだした。
 空港のラウンジは空いていて、夜のチルアウトルームとなっていた。ふたりは窓際のシートを使ってモクテルをオーダーしながら飛行機をまった。窓から七色の滑走路、もっと向こうで夥しい光の粒が瞬きながら陸地を彩っている。望んでいた。プーケット島へ飛ぶところを男に見せてやりたいと。この夜に、そこまでふたりの気持ちは一致している。電波状況は完璧だった。男は空港にいる様だ。鮮やかに流れる音楽などよりも男の足音に敏感になっている耳を傾けていた。
峰子は三箇月続ける婚前旅行先のプーケット島で破棄を決めて、ひとりで帰ってきた。それからこの空港でぼくと初めて対面したあの日、そのことを打ち明けたのだった。そして、いま知らされたのは、峰子の躰は子供ができにくく、強い酔いにやられた男に酷く責められたということだ。けれども妊娠の反応はでている。それについて峰子が一辺倒に語りだした。
 あのインターネットで繋がったままふたりで性的関係を結んだとき、峰子は想像妊娠をしたのだった。妊娠しにくい躰が想像妊娠をしたことが喜びだったと峰子が一辺倒になっている。峰子は昔から、子供ができたら入れ墨を体験しようと考えていたという。それにしても男の行方はどうなったのだろう。
──いつまでも現れたりなどしないだろう。
 探るまでもなかった。警察から着信があったのだった。空港に隣接するホテルの一室でオーバードーズにより男が死んだということだった。けれども相手の女に譲り受けたドラッグで遊んでいたにしては摂取量が多過ぎる。警察は殺人の疑いも考慮に入れているといって、通話は終わった。やはり相変わらずだったのよ、と峰子が呟いた。
 静まるラウンジのなか、峰子は自責に囚われ始めた様子だった。妊娠のせいかも知れなかったが、ぼくには分からない。中止にするかと提案すると、峰子は断固反対した。必ず行くといいはった。そしてコムローイ他、様々なものを見て廻るのだと。男との思いで作りだろう。やぶさかでなかった。ぼくは乾燥サボテンのプッシャーにはもっと気を引き締めなければいけないなどと考えた。因みに現地の島には幾らでもプッシャーがいて、なんでも簡単に手に入るらしいことを峰子に教わっていた。
 ふたりはこの夜に離陸した。湾を縁取る光の陸地が見える。それは拡大していって、雲の下に消えた。しばらくして現れたのは雲の下の異国だ。着地のとき、拍手をしている乗客までいた。プーケット島は、インターネットによるとビーチが至高とある。峰子の端末の動画でそれは分かっていた。観光もインターネットに従えばこと足りる。
──何でも入手可能なのだし妊娠しているのだから様々なる快楽を享受して浸ればいい。
 空港の外は晴れていた。三箇月のあいだなどはすぐに流れ終わる様な光景だった。宿泊先のホテルは、錯覚か、オリエンタルな作りで、入り江・アパルトマンに似ていて見えた。まずは観光もそこそこにしておいて、ホテルで寝そべりながらビーチを選び、港までバスで移動して、プーケット島へ海を渡り、直行でビーチに移動することにゆっくり決めた。
 ここが東京湾沿岸のレストランで覗き込んだカロンビーチだ。アングル以外は同じだった。ふたりは海に入った。確かに食に向かなそうな美しい光沢を帯びた魚が群れをなしている。ふたりは戯れ続けた。
 躰の疲れをとるために白銀に照り返す砂浜で、島の路地裏の売り物を再度食した。海の向こうに蜃気楼が現れゆがみゆれてそれを覆うように大粒の驟雨の幕が降りてきた。峰子は映像を取り入れている。
 コムローイの時期まで、日本の警察から連絡はなかった。ふたりは様々な遊びに甘んじた。行為三昧だったが、峰子の体調に異変は認められなかった。そして期限はきた。ふたりはチェンマイへ渡った。
 バスは混雑していたが席を取れた。移動中、観光もいいけれど皆ブッディストなのかしら私たちも含めて、と峰子が呟いた。ぼくが眺めやった。少なくともこの国民は戒律を持ってそうね。ぼくが見澄ました。三箇月といえば出産の最終決断なのだけれどもそんなに瞳孔を開いて見つめないでよ、と峰子が口を押さえながら声を上げて笑った。車窓の外で眩暈がする。
 円を描く外回廊に曼荼羅状に僧侶が座している。儀式はこともなく始まった様だった。僧侶たちの厳粛な誓願の声が響くなか、夥しい人々が無邪気な様で灯りを浮かべていく。ふたりは参加はせず傍観者として見入っていた。上空のコムローイが明滅しながら光の粒となって、ただの夜空と成り果てるまで見送った。旅行は終わった。
 入り江・アパルトマンに戻ってから、つわりが始まった様子の峰子は、警察の捜査のいい加減さを知ったが、とにかく死んだことに違いはない。記念に、男の墓地へ赴くことになった。ぼくは遠慮した。
 峰子はなかなか帰ってこなかった。墓地のなかで迷っていて、何度も探しても見当たらないと端末に連絡があった。日を改めて見つけたらいいと返しておいた。ぼくはひとりだけの躰を持て余しながら端末に向かい続けた。峰子を待ちながら端末のなか、万華鏡の様な迷宮で彷徨っていると、あるサロンに入り込んでいた。
 例のサロンと酷似して見えた。似た嗜好者を探っていると、峰子そっくりの女の声と会った。間違いない様だった。会話はあまり弾まなかったが、白を切っているからだろう。峰子として話を続けていると、私ならばそんな簡単に婚約破棄などしないけれどと返してくる。会ってもいいとまでいわれた。是非そうしてもらいたい。具体的には聴かされていないが、場所は近いそうだから、幕張の海辺で落ち合うことにぼくが決めた。
 知らない女だった。かいだことのある匂いがした。手を加えればこんな顔になってもおかしくはなかった。くちびるをめくってみた。タトゥは見当たらなかった。夜が遠くで横浜の夜景を浮かべている。
──光の粒は幾らでもあるのだから躰を嗜めばよいのだ。
 女はどれだけ経験があるのだろうかと考えているとき、相手がこちらを見つめて姦しい笑い声を上げた。
 激しい頭痛が始まった。冬を受け取る肌の感覚もないが構わない。相手の女の全貌などもどちらでもいい。この躰で今夜、入り江・アパルトマンでその躰を確かめたあと延々と味わう。浮かぶ陸影がぶれ始め、拡散してゆれた。

コルトレーンの亡霊

 都会にもかかわらず幾千とも知れぬ蝉の鳴き声による冷笑へ向けて熱を発し、若やかな女の横でA Love SupremeのA面を聴きながらコルトレーンとともに至上の愛を十九回唱える。老いた私が、あたかも十九回目での君との結びをカバラーすなわち了承する様にして。
 夏の盛りのたび東京から、私はひねもす大分の南と宮崎の県境に位置する田舎に戻っては、湾から見渡せる小さな黄金島へと真っ黒のボートを漕いだ。コルトレーンの亡霊宿る黄金島へ、バイセクシュアルの君を乗せて。ヒッピーにしてコルトレーン狂の伯父が溺死した黄金島へ十九回目の着岸を果たし、君はいつもの様にポータブルレコードプレイヤーを回転させ始めた。私はしばらく陸地を廻ってから暗くなれば夜光虫が発生するあの太陽に輝く砂地に御都合主義のポルノばかりだと呪文の様に呟いていた君を押し倒し、やり方も分からぬまま血族たる君の真っ青のミニスカートを引きちぎった。ポータブルレコードプレイヤーから廻り出るコルトレーン、そのさなか、私の息遣いを悟ってか君は抵抗せず、しかしこちらを傷付けない優しい拒否に行動を移した。年齢より更にあどけない君のしなやかなターコイズ輝く指が私に触れる。とたん、私は気を失った。私の抜け殻を君は、当時勇ましいほど憑かれていた神秘主義に酔いながら黄金島の夏の日差しの下、いつまでも見守っていた。
 長い間眠っている私を列車が北へ運び続けていた。目が覚めると列車の天井のライトが淡く灯っていたのを覚えている。断続的に列車の車輪の音がしていた。その音の一つ一つが南から私を引き裂き遠くへ導いていった。あの日を堺に私は東京に避難する様に帰ってから黄金島へ二度と戻らなくなったのだ。
 君の神秘主義に身を委ねながら黄金島に着岸してはコルトレーンを宿らせる様に流したA Love Supreme。コルトレーンのレコードや小物をも君は溺死した伯父が植えたセフィロト=印度菩提樹に納めたりしたものだった。黄金島の裏側は君のお気に入りだった。岩しかなくて砂は無く波は荒かった。伯父を喰らったという鮫も出る。とても走ったりできる海辺ではない。そこが自然なる化粧をほどこす様になった君と結ばれるにはお似合いな場所なのだと考えたが、私には技術がなく、不甲斐なく諦め、砂地に決めたのだった。神秘主義に憑かれた君との儀式に従ってそうしたつもりだった。十九回目が結ばれる日と自身で了承して。
 あれから老いた私はもう東京の一角のジャズバーにでも潜り込んで沈むしかない。ああ例のデカダンか、と嘲笑を背に受けながら。至上の愛を十九回、すべてのジャンル何をも聴くはずの私も至上の愛に狂っている。君にすがる様にして。
 二日酔いのまま、一回り差があるバイセクシュアルの君に沿うように好んで入り浸っていたレズビアンのブルーフィルムを流す映画館であることが起こった。起こりうることなのかと私は思ったが、後にワールドウェブサイトというものにささやかに載っていた。ささやか過ぎて詳細は知らぬがともかく私もそこにいた。
 真夏にトレンチコートを着て暗い待合室に女はいた。私同様観客らしきその女は逆立ちのチューリップ帽子を深く被っていて目元は見えない。トレンチコートの裾の右側から細い足が覗けているところが洒落ていて、週刊誌のモデルを思わせた。するとこちらに敵意とも取れる様に陰る細い鼻をこちらに向けた女は、もういいかしら、と言って私を動揺させた。
 いつもの様に館の内部で私が上映を待っていた。断るが、君を思い描いて自分を汚したことはない。ブルーフィルムに君を重ねて自分を汚したことも一切ない。ともかく私は上映を待っていた。館の中が闇になる。その時、緞帳から影が走った。そして止まったその影は先の女となって出現した。現れた女は、男だけの世界、と叫んでスクリーンを覆う幕をこちらからは伺い知れぬほど小さく切り付けたのだった。館の中を悲鳴が走り廻ったりはしなかった。静かだった。幕の手前で振り向いた女はトレンチコートを広げた。青白かった。しかし会場は静かだった。静けさの中、駆けつけた警官に女は取り押さえられ、映画は無事に上映され終えた。映画館の暗闇で君の躰付きを思い描いた。
 外に出た私は目がくらんだ。その時気がついたのだ。君の面影のある女がたくさんいることに。しつこく持続する既視感の中、都会の陰日向いたるところに神秘はあった。私は君の面影を当てはめていたのだった。君の面影をまさぐり求めて渋谷を渡り歩いた。女たちの数に目眩がした。目眩の中より君の面影を探す。幾人かいた。その日はそれで事足りていた。渋谷はいつでもある。いつでも君があるのと同様に。
 それからだ、神秘に包まれた私はガールハントを遂行した。ナンパと呼ぶらしい。憑かれた私はナンパを実行した。だがこの私だ、上手く行くはずがない。私は敗残兵となり、何度も戦死した。私は覚束ぬ足取りで彷徨った。渋谷の109という半円筒状のビルがあるのだが、あぐねた末、私はそこへ入った。そこは異常に目映かった。何周も廻って何階にも登ったが、ビルの中に目当ての物が見当たらない。そこでできるだけ派手な流行に乗っていると思しき女性店員を選んで、ジーンパンツはありますか、と私は聴いた。頬紅華やかな店員は、優しく拒否した。昨今ジーンパンツとは呼ばないらしいことを聴いた。ジーンパンツでは通じにくく、ややもすると若者の間では恥ずかしい言い廻しらしいことを女性店員から見て取った。
 私は初めて着飾るということを実行したかったのだ。次に入ったのは若作りしたいのならと勧められたBEAMSという店だ。混んでいた。狭い螺旋状の階段を目当てへ向けて廻って登り、こちらへ嘲笑をうかべる若い君の様な女を連れた青年どもの中、店員へ向けて、私は羞恥心の中から頭を突き出し、蓄音機の様に「デニムヲクダサイ」と言ってのけて見せたのだ。
 そしてナンパのメッカ、新島へ渡った。しかしあの懐かしい八〇年とは様変わりしていて、私より老いさらばえた死間近の者ばかりなのだった。それは好都合だった。私は疲れながらも島を何周もした。そして老人の中一際目立つ真っ白な華やかさで着飾った女に私は声をかけたのだ。狙い通りだった。老人たちの中の若者というものは驚くほど目立って見せる。左右のバランスの違う不思議な黒い髪型をした女の視線で、私の服装に過剰に意識をやっているらしいのがこちらに容易に了解された。世に多く存在すると知ってはいたが、これぞ老けた男が好みかも知れない。君の面影の宿りをも私は見抜いていた。そして今度こそはと私は奮起して一言呟いたのだった。微笑みを返した女はこちらに握手を求めた。塗装の剥げた漁船が汽笛を上げた。
 日々、うら若い君の面影宿る女と私は地元の井の頭恩恵公園の池に浮かんでいる。前髪が傾斜している女はスリップを好んで着ていた。妻子のいない私にとっては浮遊した幻の心地だった。私たちは逢い引きを繰り返していた。いつの日だったか、ここに来る道すがら、公園へ下る勾配で女が私に言い放った。ロリータコンプレックスにしてシスターコンプレックスなのでしょうと。とうに見抜かれていたとも言える。二人は笑い合った。とにかく私たちアベックは毎日緑色に濁る池に浮かんでばかりいた。
 十数回目の逢い引きの日、太陽の下でオールを漕ぎ静止して辺りを伺った。青葉の生い茂る樹木が池を包囲しながら幽霊の様にしなだれかかっている。休日のせいで、池は玩具めいたペダル式のボートでひしめいていた。波立つたびに、私たちのボートが大きく揺れ、沈没を何度もしかけた。私の黒いランニングシャツが陽を吸収して私は発汗を抑えられないでいる。女は非常に薄い携帯電話からジャズを流してくつろいでいる。
 私たちはジェネレーションの事ばかりを語り合った。話は廻っていた。そして、話の回転のさなか、唐突に結婚を申し込まれた。出会って十数回にもかかわらず。近頃の若者はその様な感覚を持っているものなのだろうか。ただの直感かと疑ってもみた。相手の笑みで冗談と知れた。とたん、女は真剣さを伝えるためと、本腰を入れてかシャツを脱ぎ、青白い肌を露わにして見せた。この行動が近頃の覚悟であると私は理解した。池を囲って巡る参道の人々についてはあずかり知らぬがボートのごった返す池は静かだった。皆こちらを見まいと努める様に。
 そして巴里に行かないかと女が言い出すのだ。銀巴里の事かと冗談のつもりで返すと、笑ってくれた。しかし冗談などではなかった。巴里、いいだろう。私は君の面影と結婚する事になるだろう運命を、浮かぶ池の上でこの時知った。祀られた神に背く様に、君をわすれ得ぬまま。

 

 去年、巴里からの帰国の心地覚めやらぬまま、実は女を連れて伯父が溺死した懐かしいコルトレーンの亡霊宿る南の黄金島にモーターボートで忍び込んだ。目映い色合いの塗料を躰のあちこちに塗りたくったヒッピー崩れの集まる島となっていた。国際色豊かな若者たちさえもがたむろしていたほどに。
 女が裏側に足を運んで行くので剣呑だからと止めた。剣呑とは何かと知りたがる女の持続する優しい好奇心に私は折れた。島の裏側には長髪の異人が数人、真夏に焚き火を囲んでいた。そこに老い切った伯父の弟を見い出した。狭い漁村ゆえ当然とも言えるが、老い切っていてもなお伯父の面影を濃く残し私を抱き締める彼との出会いが私にとっては啓示だった。亡霊が私を包むが如く。私は挨拶もせず力んで思い出の昔話をした。すると伯父の弟は勢い混んでこう答えた。
 君の姉は兄貴についで後追い自殺したのさ、神秘主義者なんかではなくベンゾジアゼピン系の薬で遊んでいただけだったしおれの兄貴としけこんでいたしそれに兄貴も君の姉もあの飛び回る蜂の羽音の様なサックスが嫌いだったのさ、ところであの兄貴が植えた昔からある西洋菩提樹木からはハーブや甘い蜜が取れて人気なんだ。
 こちらの質問に答えず喋り続ける伯父の弟は呂律が廻っていなかった。それにしても神秘コロニーへようこそ、と異人たちの群れへと私たちを迎え入れる彼はどう見ても呆けていて見えた。薬草とともに煮込んだのだという鮫を食べ始めながらこちらを眺めやった。私が断ると、所在なげにスカートを弄んでいた女が砂浜へ私を誘った。電子音が波と鳴り響いていた。
 亡き姉よ、二十一世紀の現在も化粧直しを施しては廻り繰り返される神秘主義によって精神に異常をきたした者どもにより、黄金島はプログレッシヴロックまがいにまみれている。コルトレーンの亡霊宿る黄金島は神秘主義に憑かれたヒッピー崩れどもによって、占いや野外ディスコ、つまり行楽地と化し、君のカバラへの心酔のバニシングポイントとなり果てたのか。発光する夜の砂地の青色は変わらないままだと思った。女が海辺のディスクジョッキーに懐かしいジャズの名盤をリクエストした。

余暇

退屈だな? 
君が退屈なひとに成り果てているから。
つくれとはいわない。
せめてその退屈を、
抱きしめてしまえ、こちらから。
どんな心地がするだろう?
聴かせてください。 
退屈だった心地を、
振り子のように、だんだん振幅を増殖させていって、
それがマックス激しくなったとき、
便箋で手紙をください。
この深い夜に、暇なので。

フライヤー

このはてなブログに書いた作品を、

試しにと、

noteに幾つか転載させていただきました。

リンクはツイッターのトップにもありますが、

ここにも。

 

note.mu

 

これからもよろしくお願いします。

 

弌矢。

MOMO

 湾岸地帯の巨大な弓なり公園で猟銃を持ったまま命を受けた私が、撃ったらいけないのねと叫んだ。殺意と浮気くらいしか知らない私の足元にある濡れたクローバーの浅い茂みの大樹木の根本に、相手がレインコートを敷いて横たわっている。相手との初めて会ってのピクニックだ。
 裸足でクローバーをふんで、相手を見下ろし、大丈夫、と大声で言った。どうして君の様な小娘に惹かれているのだろう、と呟いた相手に対して。
 私も大丈夫だ。今日も学校で男女差別にあったけれども始末した。トランスとハウスの溶け合う音楽が鳴り響いている。ベリータルトを頬張った。
 モモ=ゼルダ=荒崎ペドファイルでもあるお姉様に付けてもらったミドルネームはトルコ共和国ではデザートを意味する。生粋の日本人の私は、お姉様とは旅行途中のギリシャで会った。欧米ではポピュラーな名だそうだけれど、お姉様の命だからいい。お姉様の命を受けて相手といるけれど、私はウェルカムでいる。相手は凹みながら凸っていて、私は困っている人に対して足を広げなかったことはない。
 若さゆえ? 何歳になっても花は咲くの何とでもおっしゃい、ああまたお姉様の口調の影響だ、気を取り戻して猟銃を、と意識を巡らした。
 がちりと撃鉄を。公安委員に足を広げたわけでもないけれど。そんな私はアリスほどロリータではないが何だか自分が相手に似ていると思えてきた。目を凝らすと、相手、やはり赤ちゃんみたいだ。たまには私にもママの代わりをやらせてみて欲しい、嫉妬が猛威ふるう中から大人びた手を差し伸べて。
 音楽が一度止む。
 いい子、撫でてあげるわ。その声素晴らしく聴こえるのはいいのだけれど。いい子、従順に受け入れなさい、いい子。ああすぐに答えが飛び出るよ、感謝。
 それから、あの旅を思い出しながら私が立ち上がった。相手は瞑想している。かと思うと回復ヨガみたいな動きを始めた。敷いてあったレインコートを着込んで弓なりの公園を眺め廻している。何かがうまくいっていない様に伺えた。汗をかいた鉛色の死に顔をしている。なんなの赤子なんか、今度は本当に死んでしまえばいい。
 そんな私の汚れっちゃった殺意も未だ変わらない。極彩色のギリシャの美しい会員制クラブのDJブースのまえで出会ったお姉様を眺め尽くしたあの日、ふたりとも天竺キャミソールが汗だくになっていた。口に入れられたお菓子は口に合わなかった。そうじゃない、そわそわ踊っていて食欲はなかったのだ。耳がイカれそうだったし頭もイカレポンチだそうだし。
 いい子、スイートね。その声心地よく聴こえる。いい子、殺し切ってはいけないの溶け合えば思考がそうなってしまうの。
 そしてその時だ、私はクラスの席替えの恨めしさを打ち明けたお姉様に対しても、なんだか荒々しい気分になってきていた。でも、その後はお姉様の微笑みがあって素直に受け入れてのけた。よく眠ることができたわ、あ、り、が、と、う、お姉様。姉のいる私はそう言った。
 いま命を受けている私が公園で火照っている。小降りとなっていく。またもとのモモへと醒めていく。お姉様から遠く離されて眠っていく様だ。きらきら煌めく爆音の中の眠り。割れ砕け散りそうなステンドグラスの内部にいる。相手が何か言った。けれどもまた何も聴こえない。鳴って聴こえているのはトランスとハウスの溶け合う音だけだ。ビートの切れ目に、コー、コー、コー、と断続的には外の音も聴こえるけれど。爆音鳴り響きつづける中、未だ食べ終えられないベリータルトを無理して口にする。
 そして夕日はあった。この湾の向こう、光彩陸離な陸影に落ちかけた雲に穴が空いて、そこから傾き切った太陽の火柱が海へとぶっ挿して埋め込んでいる。目のまえに迫り来る様な暗い巨大な樹木があった。夜に近づくと深い色合いから見えなくなっていく。そこからの夕焼けが巨人のあんぐり開けた口の中の様に見える。あそこに向けてぶち込みたい。夜はもうすぐ三ヶ月だ。
 スイートハート。媚び売るみたいに相手がそう言った様な気がしたから、私が齧りかけのベリータルトを振りかぶって遠くへ投げる。暗がりに沈みかけている季節外れの蓮華草の茂る辺りに落下する。猟銃のトリガーを引く。ケーキにむしゃぶりつくハクビシンだろう小動物らしきものの頭部が炸裂した。赤子の最後の声が聴こえた気がする。鳴り続けている爆音の中に未だそれはある。相手が驚いて起きて赤子みたいな目でこちらを見る。しっかりしてよ、聴こえてる? 
 あ、あ、あ、あ。
 聴いていないのは私のほうなのだけど、もう相手しない。
 いままではピクニック。そんなのただのピクニック。こんなモモ=ゼルダがようやく再会したら、またすべてを受け入れてギリシャゼルダお姉様とともに、幼く気狂いダンスをする、未だのモモが。けれども溶け合ってしまったら? 戻れなくなると思う、すべての未だのモモが。